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苦かった

サンマは苦いかしょっぱいか 
っと 詩ったのは佐藤春夫
文壇の巨匠ですね
 おそらく我が母校、
2砂中へ通った人は  
ご存知の人が多いんじゃいかな

 なぜなら 2砂中の校歌を作詞したのが
この大先生らしいから

 当時の国語の先生が鼻高々に説明していた
 (加藤先生 まだご存命でしょうか?)

 いや、別に 地元密着を謳うブログですから
たまにはこんな話題もいいかと思って・・

 さて本題、
  鮎は甘いか苦いか でした
  
昨日のブログの続きです
 
 ベーキングパウダーのかわりに重曹を
入れて 焼いてみました

 苦かった・・
重曹入れすぎなんでしょうね

情報どおり 表面の焼き色は濃く 
中身も黄色くなった
 味も大分変わる 
なんというか クラッシクな感じに
なりますね

 う~ん、これだと今までの江東屋さん 
の人形焼とは別物になるな~
 
どうしましょ?
 重曹の量 半分にしてもう一度
やってみますかね?
 それとも
 とりあえず 重曹は封印かな

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